TEXT 2017


「これから」の共鳴 

-「一条美由紀×斉藤真起 どこかになんかある」をめぐって

 

 幼い頃から美術を身近に感じていたという斉藤真起は多才なひとである。子ども時代の記憶に残る画家を挙げればゴヤ、ユトリロそして佐伯祐三となかなか渋い。美術大学への進学を決めた10代後半にはエゴン・シーレに強く心惹かれるようになり、原美術館などで現代美術にも触れることも覚えた。だが、その美大で専攻とした油彩には自信が持てず中退。その後は版画制作を続けながらイラストレーターとして自立するのだが、やがて彼女は縁あって地方議員という異色の経歴を持つことになる。初個展を経験するのはその引退後の2016年、陶芸というジャンルにおいてのことであった。
 一条美由紀との二人展である本展では陶の仕事とともに絵画も展示する。美術に関しては早熟な彼女だが、それに比してその作品数と発表経験は極めて少なく、とりわけ油彩に関しては技術的な課題も多い。その作品には、少し寂しげでぼんやりとしつつ僅かな明るさもあるという、まるで花曇りの空のような魅力がある。しかしそれはまだ陶芸でいう「焼きの甘い」状態であり、人物表現の場合は特にその観が強い。このように、率直なところその絵画は現時点では評し難いものがあるのだが、だがその一方で彼女が驚くべき実行力とエネルギーの持ち主であるということも忘れてはならない。自身の仕事を客観視すること、そしてそれにより課題解決の手立てを構築できるようになれば、その表現は必ずやもっと豊かで力強いものになっていくだろう。
 一条美由紀は斉藤と同世代で、ドイツへの旅を契機に現地の美術大学の門を叩いた。当時すでに30歳を越えていたが、彼女の熱意と可能性を認めたフランツ・エーゲンシュービラー、そしてその後任のローズマリー・トロッケルのもとで大きな成長を見せ、ドイツ各地での発表を通じ評価を高めてゆく。だが、2001年の帰国は結果的には長い沈黙の始まりとなり、ドイツ時代からの友人の強い勧めで活動を再開したのは2016年のことだった。
 このたび一条が発表するのはアクリルを支持体とした木炭のドローイングである。彼女の作品には常に「人らしきもの」が登場するが、その心持ちを測ることは容易ではなく、口ほどにものを言うはずの目に至ってはまったく頼りにならない。詳らかにされていないものまでまさぐろうとするがゆえに味わうその空振り感たるや-作家はまるで鑑賞者の中にある小さな傲慢を見透かしているかのようだ。
 かつて美術を専門的に学びながらも、制作中心ではない暮らし長かったふたり。斉藤の姿を殻から出でようとしてる様子に例えることができるなら、一条は眠りから覚めで再び歩き出そうとしているような状況といえよう。今まさに「これから」のひとである彼女たち―その作品が出会ったとき、そこにはどんな共鳴が生まれるのだろうか。

(2017年12月、masuii R.D.R gallery「一条美由紀×斉藤真起 どこかになんかある」DM)

 

 

  

ふたつの脳 

-若井真由夏の銅版画をめぐって

 

 若井真由夏が銅版画を始めて8年程になる。筆者が初めてその仕事を見たのは一昨年のことで、当時の作品には情念深くそして沼っぽい印象があった。
  彼女はこう述べる。「自分が最も時間をかけるのは下絵で、そこまでは作家の脳。でもそこから版を作ったりそれを刷る段階になると職人の脳になる。その切り替わりが自分でも楽しい」。
  とはいえ、一版多色刷りはインクの塗り方次第で結果が大きく左右される「職人」泣かせの技法だ。減ってきてはいるがボツも多いという。このような成功率の低い課題に向き合うためには粘り強さが必要とされるが、それは同時に作家が自らのコンセプトを客観的に見つめる時間にもなっているのだろう。
   昨年は愛知県瀬戸市にある現在のアトリエに拠点を移し、パリでの滞在制作と個展も経験。それらと連動するように、その表現は急速に研ぎ澄まされていった。そして東京では初めての個展-情熱によって結託した「作家」と「職人」の脳は、いよいよ本格的に道を切り開き始めたようだ。

(2017年12月、巷房「若井真由夏 銅版画展  想ふ壷」DM)

 

 

  

触媒と返信 

-「高橋敬子展―紫 野―」をめぐって

 

 「少しだけ紫に立ち戻りたい」と作家は言った。

 山口薫やムンクに心惹かれたティーンエイジを経て、「教える」という立場で美術に関わってきた高橋敬子。本格的な作家活動をスタートしてから今年で12年になる。その初個展「N氏への手紙」は私淑し親交を重ねた中西夏之との往信を出発点とし、展示それ自体にもまた往信としての役割が託されたものだった。
 その後の数年にわたり作家の心を捉え続けたのは紫という色。作家にとって制作は日常に出現する特別な時間であり、曰く「情熱の赤と鎮静の青の間に位置する、誘惑的で魅力的な」この色はその時間へと自身を力強く導いてくれる存在だったという。彼女にとって如何にそれが不可欠なものであったかは、2回目以降の個展に「紫の庭」「窓外・むらさき・時間」そして「黒い紫」という名がそれぞれ与えられてきたことからも明らかだ。
 草、とりわけそれが立ち枯れた姿がモチーフとして採用された2010年の個展「不在の庭」はその画業におけるひとつの転換点といえる。それは絵画の構成要素として「色」と双璧を成す「線」への探求心を礎とし、と同時に、自らの意思では根ざす場所を選べない植物への強い関心-それは共感や畏敬に類するものと推測される―を端緒とするものでもあった。自然を観照する態度は翌年の東日本大震災の経験ののち更なる深まりをみせ、それはやがて枯野を愛でるならわしに着想を得た2015年の個展「かれのみ」へと至っていく。
 一方で、この流れは「紫との別離」という展開をもたらした。作家によれば、それは決して意図的なものではなく、新しいテーマを追求するうちにそうなっていったのだという。かつては作家を制作に没入させるためのいわば触媒として機能することもあったこの色からの卒業は、彼女がその支えなくとも制作時間に自律性を持たせられるようになったことを意味しているのかもしれない。
 高橋敬子のアトリエは群馬県渋川市の自然豊かな場所にある。そしてその野辺で繰り返されてきた逍遥という行為は、すなわち思索そしてモチーフとの出会いのための大切な時間であった。近年、作家はその興味の対象を足もとに在るものから広大な風景およびその地平へと拡張させてきた。それは睡蓮を数多く描いたクロード・モネが視線の角度を水平から垂直へと変化させていったプロセスと、向きこそ異なるがとてもよく似ている。そんな彼女がいま挑んでいるのは、焦点距離の遠い絵画を生み出すだけではなく、物理的にも距離を置いて鑑賞すべき画面の構築だ。
 作家に助言を与え続けた「N氏」が空の向こうへと旅立ったのは2016年のことである。それと前後してパステルという新たなメディアを手に入れた彼女はそれをもって再び紫に向き合い始めた。もはや触媒ではないこの色との新たな関係性が示される本展は、そのN氏への、そして12年前の作家自身へのひとつの返信となることだろう。

(2017年11月、巷房「高橋敬子展 ―紫 野―」リーフレット、およびアーティストWEBサイトhttp://nokahouse.com/

 

 

  

焼成への情熱が生み出す存在感

 

(2017年11月、『炎芸術』132号、「フォーカス・アイ 五味謙二」阿部出版)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幽玄と 

- 一条美由紀のドローイングをめぐって

 

  ドイツからの帰国後、長い時を経ての個展。それを構成するのは木炭によるモノクロのドローイングだ。おぼろげな軌跡によるその像の多くは肢体の一部や表情を詳らかにせず、シャッターの動きが緩やかな写真のごとく僅かなシークエンスを内包している。と同時に、動機を測りかねるようなポージングは幾分のデモーニッシュな気配を帯びている。
 デュッセルドルフ美術アカデミーに学び、作家活動の殆どをドイツで展開してきた一条だが、その作品にはどこか日本らしさが漂う。そこで、ここではその分析のために中世以来の美的理念であり、鴨長明(1155-1216)が定義づけようとした「幽玄」を引き合いに出してみたい。
 この随筆家は晩年の歌論書『無名抄』にて「幽玄」を次のように説明している―「詞にあらはれぬ余情、姿に見えぬ景気(=ありさま)」。そして具体例として幼児のかたこと言葉や霧のまにまに見える秋山などに対する心情を挙げ、更には「幽玄」を含むいくつかの美的理念を歌に込めればたった31文字で天地を動かし万物に宿る精霊を和ませることが可能である、とまで述べている。
 全容を明確にすることを是としない感覚、そして限られた表現要素で神的な存在と向き合う態度が日本的であるということは、多くの人々が認めるところであろう。だが、長明自身が「自らもいと心得ぬ事なれば」と謙虚に前置きしたうえで幽玄論を語り始めているように、その熟知と実践は決して容易いことではない。けれども、その言説と一条美由紀のドローイングを照らし合わせてみれば、かなりの部分で合致していることが分かる。
 とはいえ、実際のところ「幽玄」は造形芸術ではなく主に和歌や芸事の世界で共有されてきた理念である。もし身近に言語や身体による表現に携わる友人がいるならば、彼らを誘って本展を訪れてみるのもいいかもしれない。

(2017年11月、STOREFRONT「一条美由紀 変遷していく私」DM、およびギャラリーWEBサイト http://storefront-art.com/gallery/ichijo/ichijo-yamauchi.html

 

 

  

5年目の嘘 

 

― 此ころはすぎし方をもおぼえ、又ゆくさきのてだてをもおぼゆる時分也。この比きはめずば、このゝち天下のゆるされをえん事、返ゝかたかるべし。(世阿弥『風姿花伝』より)

 

 初めてナカムラミオの姿と作品を見たのは、銀座のとある画廊でのことだ。その日は企画展の開会式があり、私が到着したのはちょうど彼が自己紹介のマイクを握ったところだった。他の出品作家より歳をとっていることを恐縮気味に述べている彼を見た私は「この人、何でそんなことをわざわざ?」と冷笑していたのだが、その作品の瑞々しさを目にするや「この恐縮はみせかけの嘘だ」と戦慄した記憶がある。

 世阿弥は能における心構えを説いた『風姿花伝』で、特定の年頃ごとのあるべき姿を示している。冒頭の一節はそのうち「三十四五」からの引用だ。そこでは、この頃は自らの過去と向き合うことを覚え、展望も見えてくる時期とされている。と同時に、この時点で自らの芸に到達していなければ、その後はいくら努力をしても世には認められ難いだろうとしている。

 ナカムラが愛をこめて「埋もれ人」とする作家を選ぶ「For Beautiful Human Life」シリーズは、この年頃を越え更に仕事を成熟させ続ける人々に光をあてるものだ。そしてこの第5回展に際しては、その独断と偏見、そして作家の生活様式や性格に対する気遣いやおせっかいにより11名が選ばれている。

 

 足立ゆかりは制作にて「眺める」行為に多くの時間を割く。天地を決めず平置きで描かれるその絵画は、温和な表情ながら強い意志を感じさせる。

 抽象的で想像力を刺激する大口良介の絵画。言葉にしにくいことを大事にする人がその前に立てば、熱い対話と共感が生まれることだろう。

 「朽ちていくものや錆びていくものが好き」と語るかわぐちあゆみ。その作品は物質に対する「時の作用」のように、淡々としていながら力強い。

 小平健一は遊び心ある陶の作品を制作。各パーツは轆轤の段階でもなお変化を欲するというが、この現象すら構成要素として活かせるのは、熟練した技術の証左である。

 「彼女はおそらく理論派だろう」と思わせる小林広恵の仕事。ゼロ年代らしさを示しつつ、その色彩はポスト印象派やナビ派好きの心をくすぐるであろう。

 民俗学者のように丁寧なまなざしで日本各地を撮り続け、集大成的な写真集を刊行したばかりの竹谷出。本展ではカリタイプで小さなアンソロジーを試みる。

 南谷富貴が表現するのは「風景」。一見デジタルな印象もあるが、近づけば素材本来の木目が見えてきて、ハードエッジな色面とのスリリングな関係が立ち現れる。

「何か根源的なモノを作品に宿したい」と言う橋本緑。歴史ある窯業地・瀬戸を拠点とするが、プリミティブなその表現は世界各地の大地と響きあっている。

 原歩は「女の子と戦争」をテーマに鋳造作品などを制作。彼女達が照準を定めるのは、人々が知らず知らずのうちに備えてしまった殻や棘なのかもしれない。

 漫画家を目指していた森大地少年は、見る者に起承転結をゆだねるアーティストになった。そしてその作品は自分に素直になることを優しくアジテートする。

 モチーフが人でも蛾でも、その絵画には正面観に対する絶対的信仰が窺える柳哲也。そこからは彼が本質的には照れ屋であることが察せられ、シャイなファンが多いのにも納得する。

 

 世阿弥が冒頭の一節で重視しているのは、つまりは己に対する客観視だ。それは孤独な内省においても可能だが、他者との比較を通じて初めて見えてくるものもある。もしかしたらナカムラがこの企画を手掛けるのは「少しでも埋もれ人たちを観てもらえますように」など言いつつ、自身を客観的に見つめる機会を設けたいだけなのかもしれない。

「For Beautiful Human Life」はそんな彼の野望のみに資するものであってはならない。ゆえに、この企画が続く限りぜひ実際に足を運ぶことをおすすめたい次第である。

(2017年10月、HEART FIELD GALLERY・deux galerie「FOR BEAUTIFUL HUMAN LIFE 「最も美しい嘘の形」」小冊子)

 

 

  

吹き寄せ 

―小久江峻 個展「黴音」をめぐって

[展評]

 

 油絵具への従順な愛が窺える一方、その物体がはたして「絵画」
なのか否かは時として判りかねる―それが小久江峻の作品の手ごわいところだ。
 その支持体の構造は独特である。キャンバスの構成要素である木枠と麻布は必ずしも一体で用いられるとは限らず、さらにそこには綿が加えられることも。綿は小久江が好んで用いる素材のひとつで、その理由について彼は「支持体そのものにもなるし、筆そしてウエスにもなる。その振り幅がいい。」と語っている。場合によっては油絵具を拭き取った後にゴミとなった綿それ自体がふいに作品へと転じることもあり、冒頭で述べたような判断の揺らぎは、このようなプロセスに由来しているのかもしれない。さらに本展では壁の一部にも綿がさり気なく仕込まれることで、この素材の変幻ぶりを表徴している。
 現在は東京藝術大学に在籍する小久江。その進路選択の決定的契機は、高校1年生の時に訪れた川村記念美術館でのマーク・ロスコやサイ・トゥオンブリーの作品との出会いであった。そんな彼が目指すのは、物理的にどんなコンディションであれ-たとえ床にくずおれていようとも―「表現」それ自体が強度を持っている絵画を生み出すことだという。その制作においては偶然視界に入ってきた画材を素直に用いるといったように、作為との距離を保とうとする姿勢がみられる。が、様々な物との「関わり合い」を端緒とするこのような手法においては確実さよりも不確実さが優勢であり、当面の課題はこの条件下で如何にして堅牢な画面を構築するかということになるのだろう。
個展名の「黴音」は音楽も手掛ける作家が「倍音」をもじることで生み出した造語だ。どこからかふわりとやってきた胞子が棲み処を得ることで姿を現す「黴」は、彼の表現の成り立ちとも通じるものがある。そして且つ、たまたま拾い上げた絵具チューブの色や一度捨てた綿が支持体の上で出会うことで生まれたその作品には、見えざる何ものかの気配が漂っている-きまぐれな風が生み出した吹き寄せのように。

(2017年10月、RISE GALLERY WEBサイトhttps://www.rise-gallery.com/exhibition/2017-2018/october2017.html

 

 

  

Le vent se lève

―幡谷フミコのリトグラフをめぐって

 

  新しい「相棒」がそのアトリエを様変わりさせていた。それはアップライト・ピアノをふたつ背合わせにした程の空間を占めるプレス機。視力低下等を理由に主たる手段を油彩からリトグラフへと変えた幡谷フミコの、現在の仕事を支える存在だ。
 その空間から生み出されたシリーズ「光咲く」は版を重ねることでふくらみを得た緑色、ハイライトのような白の群れ、そして鋭質な線から構成される。前回の個展(2016 年 2 月)での発表作に比べて実験的な要素がぐんと増したのは、制作環境の整備によるところも大きいのだろう。そしてその画面には新たに大気のざわめきが生まれ、なかには野分さえ連想させるものもある。
 フランスの詩人、ポール・ヴァレリー(1871-1945)はその作品『海辺の墓地』において”Le vent se lève ! … Il faut tenter de vivre ! (風立ちぬ、いざ生きめやも)”と述べたが、それはこの作家の姿とどこか重なり合う。
状況の変化を糧にできる人は何時だって強い。

(2017年10月、うしお画廊「幡谷フミコ展」DM、およびギャラリーWEBサイト http://www.ushiogaro.com/2017/10/09/

 

 

  

ニンバスと海 

-「 明円光展 ペンギン塗りたて」をめぐって

  失礼を承知で言えば、明円光には飽きっぽい子どものようなところがある。特定のモチーフに夢中な時の集中力はすさまじいが、やがてあっという間に他の対象へと興味を移してしまうのだ。一方、彼が実際の子どもと異なるのは、やってみたいと思ったことをすべて実現できる技術と体力を備えているという点。だが着手したゲームの難なきクリアが面白くないように、それはそれで本人の悩みでもあったのだろう。
 2 年以上描きまくったラバーダックから卒業し、彼が抽象的な様式へと向かったのは昨年のこと。しかし、どうやら早くも今春頃にはペンギンが彼の意中になっていたようだ。あひるに続いてまたも「飛べない鳥」になるが、実はそこにはとても大きな変化が生じていた。
 それが如実に感じられるのは、頭部付近でふわっと光っているような黄色の部分だ。これは無地の段階のカンヴァスにスプレーを吹き付けることで表現したもの。そこにあらかじめデザインしておいた黒いフォルムを重ねることでペンギンのイメージが立ち現れるわけだが、この順序は逆光的な印象をもたらすことにもつながっている。彼にとって新しい画材であるスプレーは目詰まり等により思わぬ場所へ飛び散ることがあるが、本人曰くそのリスクはあえて排除しないとのこと。
 このように形状や位置関係を完全には制御できない方法は、筆だけで描くよりもはるかに「緊張感」と「偶然性に対する寛容さ」を必要とするものだ。しかし、作家がこれらの精神状態をうまく活かすことができれば、その表現の可能性はぐっと広がってゆくことになるだろう。
 ギリシャ神話によれば地上に降り立った神はニンバス(nimbus)つまり輝く雲をまとっており、転じてこの言葉は「後光」や「魅力的な雰囲気」という意味を持つようになったという。
以前作家がモチーフとしたあひるは人間のために生みだされたアノニマスな工業製品だったが、今度のペンギンたちはそれぞれ個性があり作家はその心情を汲むことも時に強いられそうだ。そこからは、人工的にコントロールされた状況から、よりリアルな世界へと彼の関心がシフトしつつあることが察せられる。この鳥たちの生息域に例えるなら、バスルームまたはプールから厳しい海原へ、といったところだろうか。でもきっと大丈夫、彼にはニンバスを備えたペンギン達がいる。

(2017年9月、NANATASU GALLERY 「明円光 ペンギン塗りたて」フライヤー、およびギャラリーWEBサイト https://www.nanatasu.jp/exhibition/index.php?id=63

 

 

  

光学的キュビスム 

-建部弥希の絵画をめぐって

 

 無色透明に見える日光。だがその実態が「波長ごとに固有の色を
有する光の集合体」であることは、プリズムによる分光あるいは
虹のような自然現象を通じて我々の誰もが知るところであろう。
「自分が描きたいものはやはり“光”」と語る作家が本展に与えた
副題は「Pieces of Time ―時のカケラたち―」。その新作では刻々と
変化する光が表現されているという。しかし、一見するとそこには
マットな色彩が漂うばかりで、光に由来するような明暗や光沢などを
認識することは難しい。
この状況に対して筆者が抱いている仮説がある。それは、作家は異なる瞬間に出自を持つ光をそれぞれいちど分解し、それをあらためて画布上で再構成しているのではないかということである。いわば、キュビスムの理論を光学的に展開させたものともいえようか。
 ところで、キュビスムや抽象絵画の誕生にも大きな影響を与えたモーリス・ドニ(1870-1943)は、絵画のことを「ある順序(ordre)のもとに集められた色彩で覆われた平たい表面」と言った。このordreという言葉には「自然の道理」という意味もある。建部弥希の画面が常に堅牢であるのは、光という捉えがたい対象をその成り立ちまで含めて表現しようとしているからかもしれない。

(2017年9月、銀座K's Gallery「建部弥希展「Pieces of Time -時のカケラたち-」DM、およびアーティストWEBサイトhttps://ameblo.jp/miki-t-art-yorimichi/entry-12309317132.html

 

 

  

フレーベルの庭 

―指田容史子の表現をめぐって

 

 Kommt, lasst uns unsern Kindern leben!
さあ、私たちの子どもらに生きようではないか!
(フレーベル『幼稚園教育学』より)

 

 幼児教育の祖と言われるドイツの教育学者・フリードリヒ・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fröbel 1782-1852) は、我々は子どもたちの気持ちに立ちかえり、かつ子どもたちから学びながら生きるべきだと訴えた。そして「子どもたちの庭」という意味を持つキンダーガルテンつまり幼稚園の発明者でもある彼は、そこに必ず「庭」を造ることを求めた。
 指田容史子にとって「庭」-具体的には生まれ育った家が有する緑豊かな庭は特別な意味を持つものだ。そこは屋外でありながら肉親の保護下にある安全な場であり、また、言葉を介さずして生の営みを教えてくれる「先生」でもあった。
その作家が作品のモチーフとすることが多いのは「衣服」。それらは個人的な感情の依り代として機能し、そこには身近な人への哀悼や祝福、時に怨恨までが託されてきた。そして本展に際しては幼少時代におけるその「庭」での記憶を端緒とし、子ども服を象った作品が発表される。
 それとは別に、作家が近年重点的に手掛けてきたシリーズに「箱庭プール」がある。水が抜かれたプール自体には以前から惹かれていたそうだが、直接の制作契機は東日本大震災後に原発事故の影響で子どもたちが泳げなくなったプールをテレビで見たことだという。その結果生み出されたミニチュアのプールは自然の猛威や人災等により脅かされることのない、実際のプールよりもさらに安全でそして現実から断絶された存在となった。
 どうやら彼女にとって「守られていること」はかなり重要なテーマであるようだ。これは着る者の身体を物理的に保護し、さらにTPOに合わせることで社会的なプロテクターとなる「衣服」にも当てはまる。さらに、この志向は2000年代前半から制作してきた「Shell」シリーズにも伺える。なぜなら作家が貝に対して関心を抱いた理由は、環境に応じながら形成されていく殻に蓄積された「記憶」と、外界から身を守るための「剛性」にあるからだ。そして陶という堅牢な素材を選択していることもそれと無関係ではない。
 さて、本展の出品作には少々謎めいた表現がみられる。それは服の襟ぐりから上に展開するドーム状の部分だ。作家によればこれはベビーカーの庇をモチーフとしたものだという。すなわちそれは直射日光を避けるためのものであり、ここにも保護に関する作家の興味が読み取れる。一方、仏像に添えられる天蓋の起源が貴族の頭上を覆う日傘であったように、人工的な日陰の提供はその対象が尊い存在であることも連想させる。
 ところで、なぜ作家はこのタイミングで自身の子ども時代と向き合うという行為に至ったのか。それはおそらく約5年間たずさわった「箱庭プール」が、守られた場所そして学びの場所である「庭」へと彼女を導いてくれたからではないだろうか。だが、ミニチュアのプールとは異なり自らの原体験と根源的につながるその場所は、作家に深い内省を強いることになるだろう。
 幼少時代のない成人はいない。フレーベルがいう「庭」を「立ちかえり、そこから何かを学ぶ年頃」の象徴と捉えてみると、作家だけではなく、もしかしたら我々の誰もがそこに向き合うことを運命づけられているのかもしれない。そして、本展そのものが誰かにとってのその契機となることもまた十分考えうるのである。

(2017年9月、Hasu no Hana「指田容史子 いつもそこにいてくれた」関連資料、およびアーティストWEBサイトhttp://yoshikosashida.la.coocan.jp/text.html

 

  

The next territory 

―平根淳也の表現をめぐって

 

 デカルト座標をもって平根淳也の軌跡を把えてみたい。水平のx軸は「オールオーヴァー」そして垂直のy軸は「地と図」。それぞれ右と上に向かうほど値が大きくなることにする。この文章をお読みの方には、この2軸が交差する点-すなわち数学で言う「原点」を中心とする「田」の字のような図を思い浮かべていただきたい。
 活動の初期にあたる90年代前半、作家は版により抽象表現主義的なイメージを出現させていた。その手法は板の上に流した墨を和紙に吸い取らせるというもので、偶然性に身をゆだねる点にはオートマティスムな要素も認められる。ただしそこには鉛筆による描線で秩序が与えられており、当時水戸芸術館現代美術センターの学芸員だった浅井俊裕によるインタビュー(1992年、「ダイアローグ1992」展カタログ所収)では、作家はこれを“「地と図」を作り出す作業”と述べている。とはいえ視覚的には墨の表現が支配的であり、前述の座標では原点から右下のテリトリーにこれらを位置付けることにする。
 2000年代に入ると作家は青を主体とする絵画を中心に制作するようになる。そこではオールオーヴァーな印象は減じ、「地と図」」の関係は自明となった。したがってこの時期の仕事が位置するのは原点の左上。東洋的な雰囲気も色濃い。
 個展に冠せられた名称もまた変化を読み取るための重要な鍵となる。1993年の初個展より使い続けてきた「僕の領分」は2009年以降「虚構の彷徨」へと切り替えられた。そして、それと連動するように支持体上における筆の移動距離は短くなり、個々の色片も小型化していった。その後、個々の筆致は数年の周期で集合と拡散を繰り返しており、作品たちはまるで座標の原点付近を巡遊しているような状態だ。そういう意味では、作家がさらに新しい名称を伴って臨む本展は今後の展開を測るうえでも必見の機会となるだろう。
 一方で、約四半世紀におけるその制作過程には一貫した共通点が存在していることも忘れてはならない。それはイメージを「浸み込ませ」と「上乗せ」の2段階で構築することだ。それぞれ90年代では墨に鉛筆、2000年以降はアクリル・水彩に胡粉等という順で行われ、その相対的比率もまた変化し続けている。特に後者はここ1年程で急激に存在感を強め始めており、これも新作理解の手掛りとなりそうだ。もしかしたら、彼の仕事を正しく理解するためにはこの比率をz軸として加えた三次元の座標を採用すべきなのかもしれない。
 はたして、次に作家が目指そうとしているテリトリーはいったい何処なのか。このたびの個展ではx・y・zの座標軸から成る想像上の立方体とともにその作品群に向き合ってみたい。

(2017年8月、トキ・アートスペース「平根淳也展 まだよひながら2017」会場資料、およびギャラリーWEBサイトhttp://tokiart.life.coocan.jp/2017/170828.html

 

 

  

Pen Internatioal 01 p50-61 

(2017年9月、CCCメディアハウス)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

掌中の塚 

-「北上ちひろ 個展『ピカピカの彼方』」をめぐって

[展評]

 

 少女的でどこか捉えどころのない北上ちひろの仕事は、キャラバンのように次の地平を目指し始めたようだ。

その新作では平面に対するビーズや布の採用が控えられた一方、心地よい奔放さを示す伸びやかなストローク、そして絵具や木炭の混ざりあいによる豊かな色彩や質感がその作品を絵画として一層堅牢で魅力的なものにしていた。また、本シリーズ(Creativity continues 2016-2017)における個展の名称のうち初回の『ここにあったきらめき』と3回目にあたる本展のそれを比べてみれば、そこからは関心の対象が存在する地点が自らの居る場所からはるか遠くへと推移していった様子が察せられる。それと連動するように最近の作品では大地を思わせる表現も散見され、まるでその視座が屋内から野外へと移動したような印象を抱かせた。
  にもかかわらず、北上は最新のステートメントにおいて幼き日々に愛玩した私的なアイテム-チョコレートやキャンディーの包み紙で作ったリボン等への逡巡を綴っている。絵画表現それ自体が内向きから外向きなものへと展開するなか、なおも作家がプライベートな記憶に思いを寄せ続けるのはなぜか。そんな筆者の疑問に対し彼女が述べたのは「小さな世界を突き抜けたその先に大きな世界が開けてくる気がしている」ということだった。
  会場で最後に姿を現す《dolls 1-11》 は作家自身が「好きな素材」を用いて「幼稚な方法」で生み出したと語る作品群だ。とはいえ、それは見ようによっては至極不穏で、はっきり言ってしまえば個人的にはフランシスコ・デ・ゴヤの《戦争の惨禍》の連想を禁じ得ないものであった。と同時に直感的に感じたのは、それは彼女が「小さな世界を突き抜け」ようとする過程でそぎ落としてきたものから成る塚々なのではないか、ということだった。が、それらが葬りという実用、もしくは捨象したものを忘却しないためのメモリアルな役割のどちらを担っているのかまでは推察しかねた。
   生み出されたばかりのそれらは、おそらく今はまだ作家のたなごころに在る状態なのだろう。それらをかつての「ここ」に置き去りにして歩みを先に進めるのか、あるいは暫くは旅の伴侶とし続けるのか-志向する「彼方」の方角は、作家がそれを決断する時にあらためて定められるのかもしれない。

(2017年5月、RISE GALLERY WEBサイトhttps://www.rise-gallery.com/exhibition/2016-2017/may2017.html

 

 

  

Pen №428 p54-61

(2017年5月、CCCメディアハウス)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

無重力的視座 

-奥村彰一の絵画をめぐって

 

 2017年2月、岡本太郎現代芸術大賞展で《おてんば納涼図》、そしてその数週間後に東京五美術大学連合卒業・修了制作展で《サンセット行旅図》を見た。そして、それらの作品の前でともに抱いた既視感が何に由来するものか、しばらく気になっていた。
 奥村彰一は1989年、北京に生まれた。数年で東京に移ったために当時の記憶はほとんどないという。幼少期から描くことが好きだった彼が美術の道を志すようになったのは高校1年生の時。10代後半に影響を受けた画家はクリムトやシーレであり、美大進学後の数年間に制作された作品にはその影響が色濃くみられる。
 制作活動を続けるうち、様々な葛藤が心身の動きを制約していることに気付いた奥村が留学を決意したのは21歳の時。ゆき先に選んだのは自分が生まれた土地だった。彼はそこで運筆に関する技術等を習得するとともに、かの地の伝統文化にすっかり魅了される。主題はがらりと東洋的になり、そして墨による描線が画面の基本的構造を支えるようになっていった。登場人物が現在と同じく「おじいさん」と「おねえさん」に集約されるようになったのもこの頃だ。やや陰鬱な印象はそれまでの作品とも通じ合うものがあるが、大きな違いは彼らが閉鎖的な空間から解き放たれている点だ。また、まるでタヒチ時代のゴーギャンのような泥臭さとアミニズムを感じさせる画面からは、作家の関心が私的情感から普遍的世界観へと移り変わっていった様子を読み取ることができる。
 その「おねえさん」たちが蠢動を始めるのは帰国より1年程が経った頃のこと。やがて彼女たちは様式の展開を牽引するような存在となってゆく。その一例として挙げられるのは、大地との関係性の変化である。はじめは山河にぺったりと寄り添っていた彼女たちだが、2014年頃から徐々にその接地面積を減じさせてゆき、いつしかその地面自体は支持体から追いやられてしまうのだ-稀に描かることがあっても、もはやそれはフットレストの如く全体重をかける対象としては扱われていない(例えば《おねえ山水 忘れられた桃源郷》)。そして時に国際宇宙ステーションの乗組員ように自由なポーズをとりはじめた彼女たちは、その多くが身体の向きとは異なる角度へ視線を投げはじめ、それにより気まぐれさ や野心を匂わせるようになる。
 人物のほか、花や果実もまたその作品に魅力を与える重要な要素だ。それらは伝統的な吉祥思想に関する種類が採用されてきたが、2016年以降は異国の植物-例えばサボテン等も登場している。長い歴史のなかで様式化された姿をもって表現される前者と、作家のスケッチというルートを経て新参した後者がひとつの画面のなかで違和感なく共存することができるのは、ひとえにその巧みな画技によるものだ。また、自転車やプロペラ機のような人工物を採り入れるのは、彼曰く、有機物の曲線だけに偏りがちな画面に対し、直線を与えることでその構造に堅牢さを与えるためだという。
 墨によるその「線」について、作家は次のように述べている。
「本当に最後まで主導権は墨と紙が持っているのだなと感じる」(『奥村彰一作品集 2013-2014』より)。「手先でなく体を使った身体表現が、線に集約されるような感覚」(2017年3月の取材にて)。
 ここから伺えるのは、墨と紙に対する畏敬の念、そしてそれに全身で取り組む作家の姿である。実際の制作のプロセスにおいては、下図は作らず直に支持体に描くという方法がとられる。主役となる人物等はある程度計画性をもって配置されるが、それ以外の要素はある程度感覚的に立ち上げられていく。また、着手した作品が完成に至らないことは殆どないという。いちど引いたら消すことができない墨の線を用いながらもこのような方法で作品が生み出されていくという事実は、その高い精度を持つ「筆の技術」と、作家が「描きたいものがたくさんある」と語る「情熱」が、まさしく両輪のように機能していることの証左なのだろう。
 今後の制作にあたり作家が挑もうとしているのは、南国や熱帯ゆかりのモチーフ。これらは「近代」と相反するものとして取り上げられるという。その背景あるのは欧米ばかりに目を向ける人々への冷徹なまなざしだ。奥村の作品の前に立つ時、どうしても我々はぷるぷるの唇や瑞々しい素肌ばかりに目を奪われてしまう。しかし、その画面にはモダニズムという尺度をなんの疑問もなく受け入れ続けている世界への問題提起が託されていることもまたしっかりと覚えておくべきだろう。
 この文章を書くにあたって3月下旬に制作環境を訪れた際、取材の最後に作家はピアノの演奏を申し出た。クラシックから音楽を学び始めた彼が現在関心を寄せているのはアフリカ大陸にルーツを持つ音楽やテクノであり、この日はジャジーな旋律を奏でてくれた。それを聴いているうちにふと思い浮かんだのは、音楽を視覚化することで抽象を完成させたカンディンスキーの《コンポジション》シリーズ。どうやら冒頭に述べた既視感の原因はこれだったようだ。
 思えば、美術を近代から現代に導いたカンディンスキーは「近代美術」の中心地から遠く離れた現ウクライナに育ったひとであった。近代という概念を様々なやり方で拡張させてきた当事者たちが急激に保護主義へと傾いていくこんな時代だからこそ、歴史に学びながら華やかさと批評性を兼ね備えた様式を作り上げてきた奥村彰一の仕事は非常に重要な意味を持つ。そして我々もまたその画中のおねえさんやカンディンスキーのように、重力から解放された場所からあらためてこの世界を眺めてみる必要があるのかもしれない。

(2017年4月、The Artcomplex Center of Tokyo「奥村彰一個展ー洞天風味ー」会場資料、および作家WEBサイトhttps://www.shoichiokumura.com/statement

 

 

  

ジュースと星座
-『山口百花+北上ちひろ 二人展』をめぐって(2/2)

[展評]

  

 高校時代からイラストを描くことが好きだったという北上ちひろの絵画において、その主役はずっと少女たちであった。それが抽象的な表現へと転じたのは20歳頃のこと。美術大学での学びを通じて、具体的にヒトの姿を描かなくても自らが表現したい世界を生み出せることに気付いたという。作家はこの出来事を「絵がやっと崩れてきて、具象から“解放”された」と言い表している。
と同時に、この展開は素材の多様化をともなっており(作家のボキャブラリーに依れば)「ぴらっとした」薄い布や、あるいはビーズのようなキラキラとした素材が採り入れられるようになった。そこから察せられるのは、彼女が愛するガーリーなエッセンスがかたちを変えて、ある種の即物性を強く示しながら現在の造形に継承されているということだ。そしてそれは体積としてムードを内包する「ボックスアート」にも近い性質を帯びている。
    一方、とりわけ筆者が興味を覚えたのは《drawing -きらめきとランド―14》あるは《drawing -きらめきとランド―17》のように、画面周辺に配された立体的なアイテムが、時として画面の中の抽象的なフォルムと呼応しているように見える作品だ。それは目に見えない線で結びつけられた星座のように、そこから新たな物語が生まれそうな気配をまとっていた。

   取材の最後に、「お互いの作品をどう思っているか」とふたりに尋ねた。
「自分は作品について言葉にしてみても、どこか説得力が弱い。でも、彼女の場合は言っていることとやっていること、つまりステートメントと作品が一致している。」と述べたのは山口。そして北上は「人柄が絵に表れている。絵と戦いながら抽象的な絵画を作り出していて、気持ちのよさや潔い強さがある。」と語った。
    世代も近く、一見その色調も比較的近い印象を抱かせるふたりの作家。だが、明確なテーマをもちながらいかに具象的な描写から距離を置くかということに心を砕く北上と、偶然という掴みどころのないものなくしては成り立たない山口の方法論はまるで異なる。若手と呼ばれる平面作家のあいだで具象的表現がマジョリティとなってからずいぶん時間が経つように思えるが、90年代生まれの彼女たちがこの状況を大きく変えていく日も、そう遠くはないのかもしれない。
(2017年1月、RISE GALLERY WEBサイトhttps://www.rise-gallery.com/exhibition/2016-2017/january2017.html

 

 

 

  

ジュースと星座
-『山口百花+北上ちひろ 二人展』をめぐって(1/2)

[展評]

  

 前回のインタビューの際、ツッコミ過多な質問に笑顔で応じてくれた山口百花。このたびの新作はすべて板に描かれていた。作家によればこれは予期せぬことが起こりやすい素材であり、それが自分に合っていると感じているそうだ。また、今回は渦を巻くような構図も比較的多く見受けられたが、感覚的に描いていると手の動きは自然と円形になることが多くこのような形状になりやすいのだという。それらは支持体が正方形であるという点で共通しており、その画面比率もまたこのような軌跡を生み出しやすい要因になっているのだろう。
思惑や計画性を排除しながらの制作は、かえって表現の固定化を招きやすいものだ。そんななか鮮やかな赤がひときわ目を惹いたのは《ジュース》という作品。これまであまり選ばれることがなかった色が意図的に採用されたという、彼女の仕事の中では異色の出自を持つものだ。画面上にイメージが表れたあとに結びつけられたのは、すぐそばで小さな子どもが飲み物をこぼしてしまった時の記憶。その時のジュースの色が赤であったかどうかは定かではないが、この強いトーンはいかにもそのアクシデントにふさわしいように思えた。もっぱら偶然というものを制作のパートナーとしてきた作家であるが、長く良好な関係を保つには、それに身をゆだね過ぎないことも大切なのかもしれない。
(2017年1月、RISE GALLERY WEBサイトhttps://www.rise-gallery.com/exhibition/2016-2017/january2017.html