TEXT 2020

Japanese artists who utilize non-traditional materials and the influential thinkers and philosophers

(2020年10月、Changwon Sculpture Biennale 2020 International Conference ‘Non-Sculpture Discourse and Contemporary Sculpture’)

 

それを光画と呼びたい理由 ―竹谷出の『影泥棒』をめぐって

(2020年10月、『影泥棒 竹谷出』冬青社)

 

二元論ではなく阿吽 ―小久江峻「こころのまわり、からだのうち」をめぐって[展評]

(2020年10月、RISE GALLERY WEBサイト https://www.rise-gallery.com/exhibition/still/pg936.html )

 

「空」と抽象 ―清水香帆 個展『辿る先』をめぐって[展評]

(2020年8月、RISE GALLERY WEBサイト https://www.rise-gallery.com/exhibition/cn21/auguest2020.html )

 

松本藍子の1年間 ―個展『透明にならないために』を見て[展評]

 

(2020年7月、RISE GALLERY WEBサイト https://www.rise-gallery.com/exhibition/cn21/july2020.html )

 

『VOCA2020』木村宙  カタログ掲載文章/ 会場用パネル

(2020年3月、VOCA展実行委員会)

 

ふたたびの驚き/意外な変化-「松本藍子+清水香帆2人展」をめぐって[展評]

(2020年1月、RISE GALLERY WEBサイト  https://rise-gallery.com/exhibition/cn21/january2020.html)



Japanese artists who utilize non-traditional materials and the influential thinkers and philosophers

 

(2020年10月、Changwon Sculpture Biennale 2020 International Conference ‘Non-Sculpture Discourse and Contemporary Sculpture’)

 

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それを光画と呼びたい理由 

―竹谷出の『影泥棒』をめぐって」

 

(2020年10月、『影泥棒 竹谷出』冬青社)

  


二元論ではなく阿吽 ―小久江峻「こころのまわり、からだのうち」をめぐって

[展評]

 

 2017年から翌年にかけ同廊で3回の個展を行なった小久江峻。そこでは黴・音・匂い・種子など「3次元的にテリトリーを変形させていくもの」への関心と、それを油彩で表現することへの意欲が感じられ、その展示空間には、整然さや規則性から逃れむとするような雰囲気が漂っていた。

彼はこの3年間で、自分のやりたいことがよく見えてきたという。そして医療や福祉にも興味を持ち、現在はレジデンシー・プログラムの参加者として高齢者施設で暮らしている。今回の出品作はそこで制作したものも含まれ、その殆どは《一朶の吐息》と《一朶の吸息》と題された系統の、いずれかに属している。

「対(つい)なるもの」への関心は、本展の名称からもすぐに察することができるが、さらに制作のプロセスを知れば、一層明らかとなる。というのは、実は各《吸息》には対応する《吐息》があり、そのユニットは、ともにひとつの行為からほぼ同時に生み出されたものだからだ。と同時に、それらを構成する色とそれを呈する物質は、それぞれ表面よりも奥/手前に層を為し、この構造も「対なるもの」と捉えることができる。

彼は言う-今は相対するものが重なる部分、或いはどちらにも属さない部分のことを知りたいと。そして目下その対象は「こころ/からだ」の関係。作家でありながら同じく「非物質/物質」である「概念/作品」を直接対象とはしないのが如何にも彼らしいと感じた。

なお、今回の作品名に付された「吐く・吸う」という言葉は、仏教では「阿・吽」となり、万物はその間にあるとされている。「対なるもの」を二元論で捉えず、そのあわいに着目するような彼の方法論は、この阿吽とも通じるものがあるといえそうだ。

(2020年10月、RISE GALLERY WEBサイト https://www.rise-gallery.com/exhibition/still/pg936.html )

  


「空」と抽象 ―清水香帆 個展『辿る先』をめぐって

[展評]

 

 「Creativity continues 2019-2020」の会期中に開催された清水の個展は「在るかたち」(201910月)、「境を掬う」(12月)そして本展「辿る先」の計3本。「在るかたち」では実験精神が全体から感じられ、例えば構図、筆致、画面比率等において、新たな展開を予兆させるような要素が随所に見られた。そして「境を掬う」は、画布から距離を置き、ドローイングのほか、風景写真に刺繍で抽象的形状を加えた《photo drawing》シリーズなど「紙を支持体とした作品」のみで構成。特に約40点のシートが半円形のプランの空間に吊られた《drawing installation》はあたかも作家の脳内にある様々な構想をパノラマ的に示しているかのようで、いずれタブローに反映されるものもありそうだ、と思いながら興味深く眺めた記憶がある。

そして「辿る先」-そこには、さりげなく(そこがまた清水らしい)、しかし明らかに異質な作品が登場していた。それは《empty hole 2020_1》と《empty hole 2020_2》の2点。いずれも中央に「具象的ではない何か」が表現されていたが、それ以外の部分は「地と図」の「地」のように均質に絵の具が塗られ、画面上端から下へと一律的に水色が薄くなっていくさまはまるで地平線に向かい彩度を減じていく青空のように見えた(まさにピエロ・デッラ・フランチェスカの《ウルビーノ公夫妻の肖像》のように)。そして作家によれば、たしかにそれは空を描いたものだという。つまりこれは、基本的には抽象であった彼女の絵画に、日常で可視なるものが採用されたことを意味する。それは、その画歴を考えると非常に大きな出来事といえるのだが、しかし私は、その場では、1年以内に彼女が描いた作品から感じた「いくつもの予感」のどれとも繋げることができなかった。だがその後、過去の記録写真を眺めていたら、その現実と抽象のデペイズマン的な重なりが、前述の《photo drawing》シリーズと共通していることにふと気がついた。もし本当にこれらの影響が油彩作品上で初めて顕在化したのが《empty hole》の2点ならば、この先の彼女の絵画においては、表現というよりむしろ性質の面で、新たな展開が期待できそうだ。引き続きその活動に注視をしていきたい。

(2020年8月、RISE GALLERY WEBサイト https://www.rise-gallery.com/exhibition/cn21/auguest2020.html )

  


松本藍子の1年間 ―個展『透明にならないために』を見て

[展評]

 

 作家、になるのに資格や認可は要らない。ゆえに、ある人は作家と思っている人物が、別の人からは作家とまでは見なされていないことも屡々あり得る。ちなみに「相手を作家と見なしうる条件」を問われたら、私はこう答えるようにしている-「個展を3回は行なっていること」と。なぜなら作家か否かを私なりに線引きする際には「自らの客観視」というものを重視しており、それには自作の見せ方をめぐる思案と、他者がその作品と向き合うさまを知覚する経験の反復が、概ね3回は必要であると考えているからだ。

 建物に入ってすぐ右側に掛けられていた《my cup》の色彩・筆致・構図に「恣意と自制の共存」を察した時、私はとてもよい予感がした。そして展示全体を見た結果、それは間違いではなかったことがはっきりした。特に《夢の中で》は同系色の限定的な使用と闊達な筆致が各々魅力的であるのみならずお互いを引き立てあっており、さらに何本かの線を目で追うとそこには透視図法的に表現された空間がおぼろげに顕れ、まるでその絵画が具象と抽象の世界を行き来しているような面白さを味わうことができた。

 松本藍子の展示を見たのは今回が3度目。最初は2回目の個展にあたる『Image(201911)で、その次は清水香帆との二人展(20201月)、そして本展は彼女にとって3回目の個展にあたる。初見の時点では冒頭の私の条件にあてはめると彼女を作家と呼ぶには微妙な状態であったのだが、結論からいうと、松本は、約1年間におよぶRISE GALLERYの展示プログラムの参加作家のなかで、最も大きく自分を成長させたひとりであると私は断言したい。それは作品以外からも認識することができ、例えばインタビューにおける彼女の話し方からは、回を重ねるごとに自信と力強さが増していく様子が窺え、それはWEBサイトに掲載されたアーティスト・ステートメントにおいても同様であるといっていい。この文章を最後まで読まれた方は、20198月の初個展『変わりゆくもの』以降の作家の言葉を是非とも実際に追ってみていただきたい。

(2020年7月、RISE GALLERY WEBサイト https://www.rise-gallery.com/exhibition/cn21/july2020.html )

  


『VOCA2020』カタログ掲載文章

(推薦作家 木村宙氏について)

 

  

総面積305㎡の《148,197 JGSDF》で美術大学を卒業した木村宙。そこで彼は実数の陸上自衛官をスタンプで表現し、そのための取材が縁で3年ほど海上自衛隊に所属した。2018年に着手した《みりたりーばらんす》はその続編で、今度は北朝鮮の兵士が主役。完成すれば約2,500㎡になる予定だ。私は初見時、江戸期の巻子形式資料でやはり押捺で勢力規模を記録した《御旗本備作法》(国立国会図書館本等)を連想したものだが、行程にプラグマティズムが漂うそれらとは異なり、木村の作法はむしろ写経や観想に類するものと捉えるべきだろう。一方、本作《TYPE64 7.62×51mmNATO》は射撃訓練の経験が反映された連作のひとつで、その制作動機は「実際に人を撃ったら、撃たれたらどうなるか」という問い。そして作家はそれを鑑賞者と共有するため、素材に乳幼児用を含む老若男女の衣服を用い、一部は持ち帰りも可とした。題名は国産自動小銃と弾薬の名称から成り、的の痕跡は彼がそれらを用いて撃った位置に即している。

2020年3月、VOCA展実行委員会)

  


ふたたびの驚き/意外な変化-「松本藍子+清水香帆2人展」をめぐって[展評]

 

 11月の個展『image』ではその作品の「出来・不出来」のありかたが私を大いに戸惑わせた松本藍子。彼女は今回の二人展ではまた別のかたちでインパクトを与えてくれた。まず出品作5点のうち4点を占める新作については、いずれも迷いなく闊達であることにおいてむらがなく、素直に驚きと、そして好感を覚えた。なかでも《同じようなこと》は、伸びやかなストロークが画面のサイズを味方に付けて一層の勢いを得ることに成功しており、まるで半円形の展示スペースがその領地に見えてくるような「しなやかな覇気」が感じられた。
 とはいえ今回、私が最も注視したのは唯一の旧作である《の、まど》(2016年)。その視覚的な訴求力やテクスチャの豊かさ、そして画面全体から感じられる冒険心は、前述の新作を少し退屈に見せてしまうほどだった。松本は2019年以前には発表を殆ど行っていない作家で、本作も制作後に展示されることはなく今回が初公開だという。その成り立ちについて、作家ははっきりとは覚えていないものの、今回の発表を機に久々に向き合ったことにより新たな発見があったという。今後の制作にどう反映されていくかが楽しみである。
 
 清水香帆は12月の個展『境を掬う』において「瞬きをするたびに移り変わる世界、そして思考の断片を掬い上げるように」(同展のArtist Statementより)描いたドローイング群を発表した。私がこの言葉の前半から連想したのは印象派の画家たちの眼。だが、後半、そして彼女の作品に相似形が度々登場することも併せ考えると、むしろ比較すべきは反復により運動を表現した未来派の影響を受けたのち《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》−いわゆる「大ガラス」を制作したマルセル・デュシャンが最も妥当なのかもしれない。なお清水は同展で写真を用いた連作《photo drawing》も発表したが、そこには放射状のイメージが刺繍つまり糸が支持体の表裏を往復することで表現されたものがあった。絵画においてその関心が反映されてきた「層」をめぐるひとつの実験としてここに特筆しておきたい。
 それに続く本展の絵画では、目に見えて絵具の厚みが減じていた。清水はかつて10-11月の個展『在るかたち』に際して「強い絵」を描いていくことへの意欲を示していたので、ドローイングの影響を考慮したとしても、この変化は意外だった。ゆえに彼女自身がどこへ向かおうと考えているのかが分かりにくかったというのが本展に対する率直な感想になるのだが-作家のことだから、それは今後の発表を通じいずれ明らかにしていってくれると信じている。

(2020年1月、RISE GALLERY WEBサイト https://rise-gallery.com/exhibition/cn21/january2020.html )